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東浩紀「AGI/ASI以降、人間の取り柄は愚かさにしかない」――『ゲンロン19』刊行イベントで語った哲学

Shiritomo編集部 @shiritomoAI_jp 2026年10月26日 更新
東浩紀「AGI/ASI以降、人間の取り柄は愚かさにしかない」――『ゲンロン19』刊行イベントで語った哲学

愚かさ。
知の反対語のはずのこの言葉を、東浩紀はここ数年、繰り返し擁護してきました。
10月23日、東京のゲンロンカフェで開かれた『ゲンロン19』刊行記念イベント「東浩紀がいま考えていること9」で、彼は自身の巻頭論文「愚かさの倫理学」をもとに、AIが人間の価値観を揺るがす時代にこそ守るべき「人間だけの領域」について語りました。
AIがどんどん賢くなるいま、人は自分の価値をどこに置けばいいのか——そのヒントになりそうな話です。

先に結論をまとめると:
– 東浩紀は10月23日のゲンロンカフェのイベントで、巻頭論文「愚かさの倫理学」をもとに、AIの時代に人間が守るべき価値について語った
– 東はXで「AGI/ASI以降、人間の取り柄は愚かさにしかない」と明言し、AIに「賢さ」を委ねていく時代にこそ人間に残る「愚かさ」の領域を重視する立場を示した
– この論考を収めた批評誌『ゲンロン19』は10月24日に発売された

何が起きたのか

『ゲンロン19』は10月24日に発売された批評誌で、東浩紀による巻頭論文「愚かさの倫理学――来るべき日本論のために」を収録しています。
その発売前日の10月23日、東京のゲンロンカフェでは刊行記念イベント「東浩紀がいま考えていること9」が開かれました。
発行元のゲンロン編集部も、発売前日にこのイベントの開催を告知しています。

『ゲンロン19』発売翌日の10月25日、東浩紀自身がXに投稿した言葉が、この論考の核心をよく表しています。

AGI(汎用人工知能)やASI(超知能)が実現した後の世界で、人間に残る取り柄は「賢さ」ではなく「愚かさ」だけだ、という趣旨の投稿です。
政治や計算のような「賢さ」の領域をAIに委ねていく流れが進むほど、人間にしかできないことは何かという問いが重みを増していきます。
ただ、この投稿だけでは「愚かさの倫理学」が具体的に何を論じているのかは分かりません。
そこで論文の内容を確認してみました。

調べて分かったこと

「愚かさの倫理学」は何を論じているのか

『ゲンロン19』の特設ページによると、東浩紀の巻頭論文「愚かさの倫理学――来るべき日本論のために」は、人間が「人間性と動物性」「賢さと愚かさ」という組み合わせでできているという前提から出発します。
論理的な理性と、非合理的な感情や本能とが、人間の中でせめぎ合っているという見立てです。

論文では、西欧近代哲学、とくにカントのように「自分の行動をつねに普遍的な道徳原理に一致させる」ことにこだわる考え方を批判的に取り上げています。
東は、理性と非合理性の対立は生物学的には実は無意味だと認めつつ、人がそれでも「両者が対立している」と感じてしまう、その幻想の構造そのものに関心があると述べています。

ここで注意したいのは、論文の本文に「AI」という表記そのものは出てこないという点です(人工知能への言及は、デカルトの動物機械論を説明する一文に一度だけ出てきます)。
巻頭論文が中心的に論じているのは、あくまで人間の理性と非合理性という古くからの二元論です。
AIの時代と結びつけて語ったのは、イベントでの発言や、冒頭で紹介したXへの投稿のほうでした。

なぜ今、「愚かさ」を擁護する必要があるのか

東浩紀はこれまでも、ゲンロンの各号で「愚かさ」をめぐる考察を重ねてきました。
近著『平和と愚かさ』でも、「平和ボケ」——物事を深く考えないでいられる状態——が、見方を変えれば「悪の愚かさ」と地続きになっているという問題提起をしています。

AIが論理的な推論や情報処理において人間を超えていく時代になるほど、「賢さ」だけを基準にすれば人間の存在意義は縮んでいきます。
東の立場は、その危機感への応答として、身体性や人文知、規模の小さなコミュニティのような、AIには代替しにくい領域を人間の側に取り戻そうとするものだと理解できます。

「訂正可能性」という東浩紀らしい視点

東浩紀の仕事を貫くキーワードの一つが「訂正可能性」です。
物事には最初から明確な正解やゴールがあるわけではなく、間違いながら考え直していく過程そのものに価値があるという考え方です。
哲学的な対話や議論を、結論ありきの議論ではなく、行き来しながら考えを更新していく営みとして捉える視点は、今回の巻頭論文の底流にもあると見てよさそうです。
AIが「最適解」を素早く出す時代だからこそ、迷いながら考え直す人間の営み自体に意味を見いだす立場と言えるでしょう。

Shiritomo編集部の考察:発信する側にも問われる「愚かさ」との付き合い方

SNSでの情報発信やマーケティングの現場では、効率や最適化が強く求められます。
AIが文章や画像、分析まで高速にこなせるようになるほど、「人間がやる意味は何か」という問いは他業種よりも早く突き当たる領域かもしれません。
東の論考は直接SNS運用を論じたものではありませんが、AIに「賢さ」を委ねていく時代だからこそ人間に残る領域を考えるという視点は、顔の見えるファンコミュニティ運用や、現場に足を運ぶ取材のような、スケールしにくい営みの価値を考え直すきっかけになりそうです。
効率化の先にあるものを考える際、こうした人文的な視点を一度挟んでみる価値はあるでしょう。

まとめ

東浩紀は10月23日のゲンロンカフェでのイベントと、10月25日のXへの投稿を通じて、AGI・ASI以降の時代に人間に残る価値を「愚かさ」の領域に見いだす考えを示しました。
その核となる論文「愚かさの倫理学」を収めた『ゲンロン19』は10月24日に発売されています。

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